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■melborn-sovereigh-hill-1985
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■シドニーでの生活の中で、僕はスヌーカーというビリヤードのゲームにはまった。毎日毎日、仕事とスヌーカーと酒の繰り返しで過ごした。シドニーという街は大きく、いろんな人とも知り合いいろんな事を教えられ楽しい日々だったが、やはり僕の中の『次の街へ』という旅への欲求は大きく、数ヶ月もするとこの都会での生活に飽きてしまった。…なんとなくシドニーで僕のやることはもうないかなと感じてしまったのだろう。そう思うといてもたってもいられず僕は次の旅に向けて準備を始めていた。
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■オーストラリアに来て働き繋いで次から次へと旅に出るタイプもいれば、一つの街にとどまって一つの仕事の中で自分の居場所を確立する人もいる。当時のオーストラリアは日本人新婚旅行のメッカで、ツアーガイドやデューティフリーショップ(免税店)で働いていて数年後には結構なポジションに付いた人というのは少なくない。今ではかなり
困難なパーマネントビザ(永住権)の取得もそうは難しくない時期だった。日本の不動産会社が土地を買いまくり始めたのもこの時期だ。
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■僕自身も『永住権を取りたい』という気持ちと『旅を続けたい』
という気持ちの中で揺れていたが、シドニーでの仕事を続けて永住権を
取る気にはなれなかった。僕達みたいなただの人が永住権を取得する場合、
だいたいは働いている職場のオーナーにスポンサーになってもらい、
数年かけてビザを取得し、その後数年は恩返しのような形で
そのスポンサーの元で働くことになる。…スポンサーの件もないではなかったが
とにかくその頃僕が感じていたのは、たとえパーマネントのためにでも数年間も
住まなければならないのならその土地はサーファーズパラダイスにしたいということだった。
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■そんなこともあり旅行と移動を兼ねて僕はメルボルンに向かった。この際だからオーストラリアを
一周してから目的地サーファーズパラダイスに着こうと考えたのだ。所持金の事を考えるととりあえず
一周分のお金はぎりぎり溜まっていたし、一度パーマネントの為に働きだすとそうそうは旅になど
出られるチャンスはない。やりだしたら認められるように仕事に集中しなければならないだろうから
旅に出るならこのときをおいて他にタイミングはないと思ったのだ。
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■グレイハウンドの長距離バスに乗り込み、英語の辞書と参考書、数枚の着替えとパスポートをバッグ
に詰めただけの荷物を持ってまた一人、旅を始めた。初めて見る土地、初めてふれあう人達に出会える
新しい旅のスタートは深夜バスから始まった。
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