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■イギリス-1986
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■毎日美術館に行ったり市内観光、郊外散策、カフェでの書き物
などを繰り返していて庶民が暮らせるほどロンドンの物価は甘くない。
またそんなに旅行資金が充実していたわけでもないので、僕はこの町でも
仕事を探さなければならなくなった。特にあせった訳でもないが、次の旅行
の資金の事を考えるとロンドンで稼いだほうが効率がいいし、長く住めそうな
気もしていたのでぼーっとして過ごすより、仕事をしていたほうが
楽しく充実した日々が送れそうだった。
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■あちらこちらロンドンを回って見て僕が一番居心地のよかった場所が
コブン・ガーデンだったこともあったし、この頃僕のできることといったら
コックの経験を活かした仕事しか思いつかなかったので、仕事探しの一歩
として、まずはコブン・ガーデンに並ぶカフェやレストランに飛び込んで
『あきの仕事はないか』と聞いて回ることにした。軒並み飛び込むつもりだった。
…そしたら一軒目で仕事が見つかった。僕のやったことといえば、店員をつかまえて『マネージャーと
話しがしたいんだけど』と言ってマネージャーを呼び出したのと、
割と一方的に『仕事を探している。日本人だ。
年は20歳、洋食シェフの経験が3年ある(かなり水増し)。もし、僕に仕事があったら
レジの娘に伝えといて欲しい。後でまた回ってくる』と言っただけだった。
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■そう言い捨ててその場を去ろうと階段を登りかけたら、そのマネージャーは『いつからこれる』
と聞き返してきた。『By now(今からでも)』と僕。…時給の話しも時間帯の話しもしなかった。
コックでいいのか皿洗いなのかも話し合わないまま、『5時に来い』という。…で、仕事は決まった。
その後、一日6時間5日働いて週給で約80ポンド貰っていたが、僕は最後まで自分の時給を聞かなかった。
…今考えるとちゃんと計算された給料を貰っていたのかも怪しいが…。
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■そのクレープレストラン(日本のクレープのイメージとは違ってちゃんとしたディナーに出されるクレープ)
では非常に多くの外国人が働いていた。フランス、アメリカ、中国、カナダ、スゥエーデン、エジプト、
チュニジア、西アフリカ、エクアドル、イギリス、ブラジル。…コレクションしてんのか?と思えるほどで
全部で何人働いているのかはわからなかったが、僕達はスタッフ同士でよくそのことを話題にした。
多いときで20ヶ国以上の人が働いていた。おそらくコブン・ガーデン自体が観光客が大勢集まる場所だから
いざというとき通訳に役立つし、働いているほとんどがちゃんとしたビザを持っていなかったので
給料が安くすむためだったと思う。
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■そんな環境だったせいか僕達はよくホームパーティもした。仕事が終わった後からだから
夜中に始まって明け方に酔いつぶれてパーティはお開きになる。異邦人ばかりなので少々怪しげな
パーティになりがちだったし、危ないことも少なくなかったがそれはそれで楽しかった。あちらこちらで
One night standってのも起きていた。…一夜の恋とでもいうんでしょうかね。パンクのパーティや
パジャマパーティ、キッズパーティ(みんな子供の格好をする)ってのもあったりした。20歳の無知な
僕にとっては不思議で不可解な体験だった。
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■ビザが切れそうになるとアフリカンでチーフのFがビザを手配するからもう少しロンドンに残らないか
と持ちかけてきた。エンプティ・ハウスを出て家賃を払っていたので金銭面だけは改善して欲しかった
がそれ以外に不満はなかった。日々を漫然と過ごしていたといっていい時期だった。どうせそのままいけるのなら
申し分のないオファーだったが、結局僕は迷った末にドーバー海峡を超えてヨーロッパ大陸に向かうことにした。
…また旅を始める時期だと考えたのだ。
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