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■イギリス-1986
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■イギリスへの入国は初っ端から危ういものだった。ヒスロー空港の入国審査で見事に引っかかった。その頃の僕のなりといえば長髪にピアス、黒のポンチョにブーツ、上着をとればその下は袖のない黒のTシャツで、首にはチョーカーにネックレスといういでたちだった。もちろん所持金もそうは持ち合わせていなかったし、荷物は大きくもないバック一つ。…あんまり典型的なその当時の日本人旅行者には見えなかっただろう。間抜けな話だが、旅をしていた4年間一度もガイドブックというものを持ったことがない(基本的に物見遊山の気持ちはサラサラ持ち合わせていなかったし…)ためホテル名など知らない。入国管理の基本的な『今夜の宿泊先はどちらのホテルですか?』という質問にも答えられず結局僕一人取り調べを受けることになり、別室で荷物から靴の中まで調べられた。
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■入国審査官の『イギリスに誰か身元を引き取る人がいなければ入国は認められない。』というセリフを聞くまではノンビリ構えていたが、そういわれるとかなりやばいことに気づく。オーストラリアで知り合ったイギリス人の名前を手帳から調べ片っ端から電話をかけてもらった。
基本的に旅の途中でちょっとウマがあって住所を教えてもらっただけの知り合いである。しかもほとんどがヒッピーのように流れている人達だ。覚えてもらっているかも、イギリスに帰ってきているかも定かではない。…どうなるのかわからないまま時間は過ぎる…。
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■幸運だったのだろう。C.K.というアデレイドで一緒に飲んだ男性が覚えていてくれて、空港まで引き取りに来てくれるということになった。…実際彼が現れるまでの2時間あまりは本当に迎えに来てくれるのか気が気ではなかったが、彼は現れた。(実は空港で彼に最初に会ったとき、彼の顔をみても即座にはC.K.だと気づかなかった。…二晩ぐでんぐでんになるまで飲んだだけの知り合いだし、その時から一年も時間が経っていた)…この後、彼には相当に面倒を見てもらうことになった。
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■空港を無事通過しロンドンに向かった僕たちはとりあえずC.K.の案内で一旦安宿を探し、住む家を探すことになった。…僕にとってロンドンはまるっきり不案内で、その時点ではオーストラリア以外で『生活』を営んだ事がなかったため、その先の行動はほとんどC.K.任せになってしまった。C.K.もC.K.でその日の午後まではバーミンガムの両親のところで平穏に暮らしていたはずなのに、入国管理からの電話一本でロンドンに移る決心をしたらしい。(決心というほどのこともないんだろうけど…)いずれにせよ後から考えると妙なタイミングで僕はイギリスでのパートナーを得た。
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■当然合法ではないはずだが、ロンドンで寝床を求める時に『Empty house』で寝泊まりするという方法がある。…要は長い間空き家になっている家を探してそこに居着いてしまうというわけだ。…ケースはいろいろあって、本当に持ち主がおらず(生存していない)管理しているものもなく、そこに人間が長年住み着き、まるで無料のシェアハウスの様になっているもの、そうでないもの…。方法は簡単で始めにそこに住み着く人間はドアなりを壊して部屋の中に入り、鍵屋を呼んで鍵を新しいものに変え、電気や水道屋と、だんだん人間が住める状態にしていく訳である。電気なども『電気代がちゃんとは払えないから、メーターを付けてくれ』と相談するとコインを入れた分だけ配電する機械を家の中に設置してくれる。電気が切れる度にコインを入れなければならないが、持ち主不在で出入りの多い家だから電気代の支払いの立て替えや未払いを誰かがかぶるということもなく、トラブルが起きにくいという利点がある。(当然ばれれば法的な罰則があるはずだしマネしないでね)…まるで不本意ながら僕も知らず知らずにそういう場所に一時お世話になっていた。
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■しかし、結局そういう方法や、家賃を払わず住みかを得ているわけだから、気が付けば定職のない人間や社会的観念
のずれた人間が集まったり出入りするようになり、共同生活のルールが崩壊していく…。
僕たちはそのルールに対する考え方で意見をすれ違わせ結局『お前がオーナーでもなければボスでもない。
俺達はやりたいようにやる』というメンバーの意見についていけずその家を出ることになった。
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