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■ユーゴスラビア-1987
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■トルコを北に抜けて出国するとき、ブルガリアに抜けようとしたのだが、ビザが取れず結局ユーゴスラビアに行くことにした。ヒッチハイクで出国したのだが、イミグレーションだけはヒッチはまずいと言うことでそこは歩いて越境した。その後の行程もユーゴスラビア国内はヒッチハイクだった。
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■The last night in Turkey.
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■ヒッチハイクでの旅は初体験だったのだが、とにかく歩いた。地理感が全くないので、あまり車が通らない小さなストリートでヒッチしてたりもした。その頃の食事はマーケットでパンとチーズと水を買ってバックに詰め込み腹が減ったらかじるという感じだった。いい加減そんな食事に飽きるとソーセージなどを買うのだが、この先どうなるか分からないので自然とサイフのヒモは堅くなった。
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■歩く。
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■歩く。実際食事もお粗末で、体力だけは確実に使う。…景色を楽しむ余裕などまるでなかった。座り込みたいと思うこともあったが先行きの危機感から一歩でも先に行かなきゃと思うと体は歩くことを選ぶ…。あてのない行軍だった。
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■家族連れのドイツ人観光客に拾ってもらえた。夫婦と子供3人のちいさな車にさらに僕達が乗り込む。僕らからすれば渡りに船だが、ゆうゆう自動車旅行を楽しんでいたこの一家からすると突然ぎゅうぎゅう詰めになって大変だったと思う。もちろんこの家族にしてあげられたのは旅の話を聞かせてあげる事だけだったが、彼らはあまり見かけることのない東洋人と話が出来るのを楽しんでくれた。
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■ヒッチハイクなので当然どこかでは降りなければならない。僕らはBudvaという街で落ち着くことになった。…その街にしばらく腰を落ち着けたら、また車に拾ってもらえる日を待ちながらの徒歩旅行が始まる。…とにかくこの家族とはBudvaで別れることになった。
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